【きょうだい児】結婚を諦めざるを得ないのか?家族の障害がもたらす『見えない壁』

この記事について

記事の趣旨とご留意いただきたい点

本記事で取り上げているテーマは、家族が抱える現実的な不安や、それが婚約・結婚といった人生の重大な選択に影響を与える社会構造を考察するために設けたものです。

  • 本記事の目的は、 障害のある方やそのご家族に対する差別を助長することでは一切ありません。むしろ、このようなセンシティブな問題が実際に存在し、人々の倫理観や選択をどのように揺さぶっているかを冷静に分析し、社会全体の意識向上と、より良い共生社会の実現に向けた対話を促すことにあります。
  • 記事中のいかなる表現も、特定の個人や属性を非難・排除する意図はございません。読者の皆様におかれましても、本記事を社会的な課題についての建設的な議論の一歩として受け止めていただければ幸いです。

あなたが運命の人と出会い、結婚を決める。将来生まれる子供の名前を考えながらマイホームについて情報を収集したり好きな人と共に時間を消費していく『幸せ』が目の前に見えているのに、一言で状況が変わる。

『家族に障害者がいる。』

この先に夢見る世界の全てがこのたった一言で破滅する。

『親族に障害者がいるだけで婚約が破談に』この問題は長きに渡って議論されてきた。しかし、この問題は極めてセンシティブな内容であるため、当事者以外であまり表で触れられることはない。それにより、結論が出ないまま放置されている。

だからこそ、なぜ親族に障害者がいるだけで実質的に『詰んでる』状態になるのか、原因を考えていく。

目次

子供の教育費・両親の介護・障害者介護の三重苦

まず第一にあげられる原因は子供の教育費と親の介護、家族内の障害者の介護による経済的負担によるものだと考えられる。

よく「子育てには2,000~3,000万円かかる」と言われています。でも障害者に対する費用は世間的にあまり馴染みがないないと思われる。では実際どうか、福祉・医療・緊急時対応費諸々含め、1億~3億ほどかかると言われています。教育費は子供が巣立つ22歳頃に完結するが、障害者は一生巣立たないため、障害者に対する費用は死ぬまで終わらない。

子供の教育費や、親が高齢になった時の介護など経済的に圧迫されるのは結婚する前から理解できる。しかし障害者の面倒まで見るとなると話は別だ。

経済的な破滅で十分に地獄なのにもう一つ、決定的な理由がある。

きょうだい児による遺伝の懸念:生物的本能と社会的倫理の衝突

もう一つの決定的な理由が『きょうだい児による子供への遺伝の懸念』だ。

最も親族が懸念する点の一つであるのは間違いないだろう。この懸念は、科学的な根拠の有無に関わらず、当事者や親族の間に 「次の世代に同じ困難を負わせたくない」 という切実な不安として立ち現れる。 そのため、婚約者本人ではなく、「相手方の親族」 が主導して破談を求めたり、結婚後の出産について強く制限や条件を設けようとするケースが散見される。

親族側が懸念し、破談に持ち込む理由はその根底にある心理が原因である。結婚は人生で最も大きなイベントであり、一度歩み出せば途中で退くことが極めて困難な家族同士の永続的な結びつきであるからと私は考える。

親族の懸念の裏側には本能的な判断が働いている。すなわち、「家族同士が結びつくのは、一族の血を後世に残すこと、種の存続を確かなものにする」という生命の根源的プログラムだ。この点において、人間は生存を脅かす可能性のある要因を感じ取ると、生命の根源的プログラムに回帰し、「避けるべきだ」と本能的に判断を下します。 子孫に困難な遺伝的要因を引き継ぐリスクは、この本能的な判断においては、一族の存続にとって回避すべきリスクとして処理される。

この選択は確かに個人の威厳を尊重し共に暮すことを重視する現代社会にはマッチしないが、生物学的視点に立つと合理的な選択であることは間違いない。しかし、ここで両者共に親の反対に抗い結婚、そして生まれた子供が障害を持っていた場合どうなるか?救世主として第二子を望むだろう。だが、生まれた第二子が健常者だったとしても問題が生じる。

健常者として生まれた第二子の将来

親の反対を押し切って結婚し、生まれた第一子が障害者とした時、『一般的な家庭像』を想像する夫婦は希望を求め、健常者の子供を欲しがるのは当然と言える。だが、健常者の第二子を授かっても負の連鎖は終わらない。なぜなら健常者の第二子は生まれた時点で十字架を背負っているのと同意義であり、その健常者の子供が将来結婚したくても、一番最初の段落から説明している三重苦や結婚相手の家族からの懸念など、負の連鎖の構造から全く抜け出せていないからだ。

健常者として生まれた第二子は必ずと言っていいほど、両家族からの救世主として日頃圧力とプレッシャーを感じながら生活することになり、そして障害を持つきょうだい児の世話役を任されることになる。この経験から子供を持つことに対し消極的になる。そうなれば、一族の血の継承が果たせなくなり、結果的に血が断絶される。

負の連鎖を断ち切るため、健常者の子供に迫られる究極の選択

負の連鎖構造から抜け出すには、健常者である第二子が家族と絶縁した状態になるのが最適解となり得るのか。もし、健常者である第二子が結婚相手との間に健常者の第一子をもうけ、かつその一人でとどめておけば、遺伝の懸念からも完全に解放され、健常者としての血筋を再スタートできるだろう。しかし、これが究極の選択であることは間違いない。

『家族と絶縁する』という極めて大きな代償を支払うと同時に対価を得ることが出来る。得られる対価を記していく。

1.経済的な負担からの解放

障害を持つきょうだいの介護や生活費、親の老後の面倒といった将来にわたる経済的負担から完全に切り離される。これにより、自身の家庭の財政基盤を安定させ、子育てや夫婦の生活設計を自由に描くことが可能となる。

2.介護・精神的重圧からの解放

きょうだいのケア役割や、親からの期待という精神的な重圧から解放される。これにより、自身のキャリア形成や趣味、友人関係といった自己実現に時間とエネルギーを注ぐことができる。しかし、解放されるまでがあまりにも遅すぎる。

3.新たな血筋のスタート

自身の子どもが、障害を持つきょうだいの世話を背負うことなく、健全な環境で成長できる基盤を築くことが出来る。結婚相手の家族も、介護や遺伝といった懸念から解放されるため、円満な家族関係を築きやすい。

最後に

本稿では、家族に障害を持つ者がいる家庭において、婚約破談という深刻な事態がなぜ引き起こされるのかを多角的に考察してきた。そこには、きょうだい児による遺伝の懸念という生物学的・本能的な不安、それに伴う計り知れない経済的負担、そして何よりも、これらの問題から生じる「健常である第二子に課せられた十字架」という、構造的な負の連鎖の存在。このような負の連鎖構造は、個々の家族の愛情や努力だけでは決して解決できない。健常な第二子が「家族との絶縁」という究極の選択を迫られる状況は、家族に過度な責任を押し付け、個人の人権と尊厳を脅かしている現代社会の構造的な課題を浮き彫りにしている。

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